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医者の不養生

2017年

1月

10日

白血球をあげる食事

オッソ・ブッコ
オッソ・ブッコ

「白血球をあげる食事はありませんか?」「血小板をあげる食事はありませんか?」
   血液内科の患者さんの中には、免疫力を担当する白血球が少なくなったり、血の色の元になっている赤血球が足りなくなる方が多い。
 外来で、よく受ける質問が食事の質問だ。日々の食事の中で滋養を養い、病を少しでもよくしたいという患者さんやご家族の心情が伝わってきて切ないのだが、残念ながら今のところポパイのほうれん草は見つかっていない。
 よく貧血にはレバーがいい、鉄分がいいと言われるが、貧血にもいろいろな種類があり、鉄分は足りているのに赤血球が増えないといったタイプもあるため、一概に言えないこともある。

 しかし古今東西、この私たちの悩みの種となっている血液の製造工場=骨髄そのものを食べる料理はたくさん存在する。
 イタリアではオッソ・ブッコという子牛の骨付き肉を骨髄ごと煮込む伝統的な料理があるし、フランスでは ロス・ア・モアルという、牛の骨髄をそのままオーブンで焼いて食べる料理もある。昔の貴族はカニの身をすくってすくうスプーンよろしく骨髄スプーンを持っていたそうだし、アメリカ料理の母とも言えるマーサスチュワートも骨髄スプーンご愛用と聞く。                        

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2016年

10月

22日

ピンクリボン運動

 アメリカワシントン州シアトルで研究員をしていた時、世界で一番美しいと言われる夏のシーズンから、憂鬱な小糠雨と灰色の曇り空に変わる秋、街のあちこちにピンクが咲いた。ワシントン大学の売店のスナック売り場にはピンク色のM&Mが並び、デパートの化粧品売り場では華やかなピンクコフレがひときわ目立つショーケースに飾られた。シアトルマリナーズのスタジアムではピンクの応援Tシャツが販売され、ピンクのBMWが街を走った。乳がんの啓蒙活動であるピンクリボン運動の一環だった。


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2016年

9月

15日

沖縄とおばあ

学生時代の沖縄徳洲会での研修は、個人的には、初の来沖だった。沖縄へのパスポート提示が廃止されたのは1972年、まだ沖縄が長寿日本一で、基地の傷跡も生々しくAサインバーの残り香がまだあった気がする。

まず、患者さんの名前に驚いた。例えば「金城カメ」「金城ウシ」「比嘉ウシ」「金城カマド」さんが同室にいる。同姓が多い上に、下の名前が人の名前ではなく、性別も不明である。
「牛さん」と呼ぶのも妙な塩梅だし、「金城さん」と呼ぶとみなが振り返る。
先輩医師は実に潔く、女は全員「おばあ」男は「おじい」で統一していたが、本土で同じことをしたらクレームものである。今思っても、沖縄の「おじい」「おばあ」という呼称に敬意が含まれていたからこそできた力技だった。

 私が担当させていただいた「おばあ」は、生粋の沖縄の方で、東京語が通じず、会話をするのも一苦労だった。白髪まじりの髪をゆったりと頭の上でお団子に結び、顔も指も丸っこい方で、平たい顔のウチナンチュの医者見習いにいつも、禁止されているはずの菓子をにこにこ笑いながら勧めてくれた。
 看護師さんに通訳をしてもらいながら、やっと聞き取れる言葉の中で一番多く繰り返された言葉は、「家に帰りたい」だった。「ゴーヤの世話をしなくちゃいけないから」と。

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2016年

8月

10日

沖縄徳洲会

 私が医学部六年生の時、任意病院での臨床研修先でお世話になったのが、沖縄本島の徳洲会病院だった。当時、徳洲会病院は沖縄本島と奄美、九州に数施設あるのみで、離島・僻地医療を推進する民間の雄という印象だった。
 院長先生に実習のご挨拶に伺ったところ、わざわざ両手握手で返礼いただき、恐縮していたら、院内に選挙ポスターが張り巡らされていたことに後で気づいた。島内で移動をする際にご厚意で病院の車を使わせていただいたのだがその車にも屋根にスピーカー、運転席にマイクが装備されており、行く先々で視聴率を集めて少々閉口した。
 ただ、まだ何もわからぬ学生だった私でさえ、「無医村に医療を、そのための国政参加を」という熱意を肌で感じた。

 その時の徳洲会病院は、命を助けるためだったら何でもありだという、いい意味での医療者の情熱が溢れていた。まだインターネットもエビデンスもなかった時代だ。
 救急車のサイレンが鳴り響くたび、医師が救急室へと飛び込み、服を切り、管を入れ、心臓を揉み、針を入れた。途切れることなく重症患者さんが運び込まれ、ERは夜が、昼以上に術野を示すライトで煌々と照らされていた。交通事故、海難事故、ハブに噛まれた等々、まさしく、前線の野戦病院だった。

 そんな我々のカロリー補給源となったのが、医局で用意されている簡素な軽食、病院の職員食堂、そして売店だった。
 病院食堂は毎日毎日が、未知との遭遇だった。昼食に豚足が出されたり、汁物はアーサー、炊き込みご飯(ちんぬくじゅーしー)、ナベーラー(ヘチマ)の味噌煮込み、ソーメンチャンプルー。所変わればこんなに病院食堂も変わるのだと感心した。
 食堂の職員さんに、「これは何?」とあれこれ尋ねるのが毎日楽しみだった。
 しかし、魚だけはまともな解答が返ってきた記憶がない。いつ聞いても、「そこらで取れた魚さー」と言われていたように思う。正直にいうと、島だというのに魚だけは、不味だった。

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2016年

7月

19日

病のために、肉体の不自由を強いられるということは、ままあることである。
右手の梗塞で字が書けなくなった方、脳の転移のため視力を失った方、脊髄への転移のため下半身麻痺となり車椅子生活となる方。
緩和ケア病棟で働いていたとき、人が何かを手放していくのはなんと難しい事だろうかと嘆息した。
私達は少しずつ、できなくなっていく。
得ていくこと、増していくことをよしとする価値観の元で、失ってゆくことは新しい経験である。

有名人の方ががんにかかると、必ず「闘病」という言葉が使われる。
「癌に負けないように頑張ります」という言葉を耳にする。

 がんを完治させる、治療の副作用に耐える、精神的な負荷を乗り越える、それは戦場の最前線だと思う。それは、前進し、乗り越えるための戦いだ。華々しい銃撃戦のようなものだ。
けれど、その方たちと同じぐらい、あるいはそれ以上に私が胸を打たれるのは、病を抱えながら日常と折り合いをつけるという戦いに臨んでいる方たちである。
 今日はしんどかった、今日は調子が良かった、今日は昨日食べられなかった、ご飯を一口食べられた、今日は便を漏らしてしまった、日々の体の微細な調子に一喜一憂しながらも、胸をさすりさすり、粘り強くその日その日を生きている方たちである。

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2015年

8月

30日

宝塚歌劇の中の医者

友人に誘われて、宝塚歌劇を観劇してきた。
劇はフランス革命時蜂起した民衆をテーマにしたロックミュージカルで、ロペスピエール、ダントン、ムーランなど、おなじみの革命の立役者達が登場する。
小林幸子も裸足で逃げ出す豪華絢爛なマリーアントワネットドレスに度胆を抜かれ、バスティーユ牢獄前での群衆の迫力のコーラスに鳥肌を立て、ビルの三階分はあるという大階段から歌いながら降臨する煌びやかなスター達に口を開けて見惚れているうちにあっという間の時間が過ぎた。
聞けば、宝塚のトップ男役の方が背負う大きな羽は重さ20kgだそうで、院内で言えば車椅子一台分の重さである。女優さんが車椅子を肩に背負いながら、笑顔で歌ったり踊ったりしていると考えると、その肉体的過酷さがわかるというもの。
 長い間の鍛錬の末に咲いた歌劇という華は、圧倒的に豪奢で、血・便・尿・自分の冷や汗・研修医の体臭などにまみれつつ、正確な判断と選択を常時必要とする緊張感に満ちた戦場から一時解放され、非日常の眩い世界に跳べた夢の一時であった。

商売柄、そんな時でも目に飛び込んでくるのは我が同志である。劇に、ジャン=ポール=マラーという医師が登場する。元王族の主治医から離職し、市民の側へ立って革命を支持した医師である。劇中では、理想と情熱に燃え、温かみのある人間的な医師として描かれていたのが印象的だった。

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2015年

7月

30日

医食同源:薬膳

熱帯夜が続いている。

本年度七月の熱中症による救急搬送車数は1万六千人を超え、昨年度の夏の総搬送者数をすでにしのぐ勢いである。テレビなど各種メディアで注意を喚起されていることで、受診頻度が増加していることもあろうが、それにしても寝苦しく、過ごしにくい猛暑が続いている。

そんな折、夏の薬膳料理をいただく機会があった。冬瓜と豚肉のスープ、ハト麦の炊き込みご飯、茗荷と生姜・ズッキーニを包んだ水餃子、緑豆寒天などなど、翠のものは見た目にも涼やかで、食した後、体の重苦しさが払われたような爽やかさが残った。

中医学に使われる漢方薬は、我々も病院でも処方することの多いなじみの薬剤である。元々、漢方薬と、薬膳と呼ばれる日々の食事療法とは、地続きである。選ばれるのが食材か、普段は食さない草根木皮か動物由来・鉱物等などの材料かの違い、そして効力の強さ・速さの違いであり、どちらも中医学の陰陽五行説に根拠を得ている。

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2015年

1月

05日

病中吟

毎年、年末年始に、サラリーマン川柳を読むのを楽しみにしている。
第一生命が毎年行っている公募制の川柳コンテストで、その年の12月までに応募された作品を翌年の2月に公表し、一般から投票して順位を決める。

「入学金 息子頼むぞ 倍返し」「師走より 義母(はは)が来る日は 大掃除」「玄関で 出迎えるのは ルンバだけ」など、流行を取り入れながら、サラリーマン家庭(?)の悲哀をユーモラスに詠んだものが多く、ついつい吹き出してしまう。
苦境を、洒落にかえたり茶化したりして乗り切るのは、我々市井の人間の素晴らしい処世術だと思う。
 病院という環境も、非日常のままならない生活であろうから、病院川柳とでも言うべきものがないかと探したが、これがなかなかないのである。
いよいよ体が大儀になってくると、洒落た句をひねり出す余裕もなくなってくるのだろうか。

俳句には、病中吟という形式がある。
有名なところでは、芭蕉の「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」や、正岡子規の「いくたびも雪の深さを尋ねけり」など、その名の通り、病に伏した際に読んだ句である。
病中の無力感・孤独感を色濃く漂わせている句もあれば、「病み痩せて帯の重さよ秋袷」(杉田久女) 等、自らの身体を観察する明敏な視線の句もある。

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2014年

12月

25日

血液型の話③占いのトリック

ちなみに、占いや血液型、動物占いが「あたる」というトリックは確証バイアスだと言われています。
確証バイアスとはつまり、人は一度何かを信じ始めると、それを確証する情報ばかりに注意が行き、反証となる情報を軽視する傾向にあるということです。
具体的に言うと、あたった項目だけを取り出して、記憶が強化され、外れた項目は記憶に残らないので、結果としてあたったような錯覚を起こします。


また、バーナム効果という現象も知られています。
「明るく振舞っていても、実はさびしがり」「めんどくさいことは嫌いだけど、好きなことに関してはこだわる」「努力家だけれど、たまにくよくよ落ち込むことがある」など誰にでもあてはまることを、さも自分だけのこととして捉えてしまう心理現象です。
どんな人だって神経がこまやかだったり、マイペースだったり、おおらかで明るかったり、変人な部分は少しずつ有しているはずなのですが、「A型は・・」と分類されると特別に感じてしまいます。

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2014年

12月

10日

血液型の話②血液型は変わる

当院のクリーンルーム
当院のクリーンルーム

しかし、血液型と言うのは変わることがあります。
骨髄移植をした時に、O型の方がA型になることがあります。

骨髄移植とは、通常の化学療法よりもさらに強い大量化学療法を行うことです。
ただし、それを行うと骨髄の細胞がすべて死んで焼け野原になってしまうので、他の方から頂いた骨髄を移植して、息を吹き返させてやります。
この時に、もらう人とあげる人の血液型を合わせる必要があるのですが、その時に合わせる血液型は、赤血球の血液型より白血球の血液型が優先されます。せんだって話に出たように、白血球こそが自己/非自己を認識する主役であるからです。
白血球の型があっていれば、赤血球の型は異なるドナーから骨髄をいただくこともあります。すると、ドナーからいただいた骨髄の細胞が働きはじめるときに、新しい血液型に変わるのです。
ちなみに、血小板の方が、赤血球よりも生着が早いので、赤血球はA型、血小板はO型と二種類の血液型が同居している時期すらあります。性格のるつぼです。

移植後、血液型が変わった患者さんに「性格は変わりましたか?」と冗談で尋ねると「いや、全く」という回答が返ってきます。
血液型性格分析は、民族が少なく、同質性の強い日本ならではの神話なのかもしれません。

2014年

10月

27日

血液型の話①34種類の血液型

さて、しつこく各医師を血液型に例えてきましたが、そもそも、この血液型占いは当たるのかというお話です。
血液型とは、血液の赤色を作っている赤血球の、膜の表面にある目印のことです。
A型、B型、O型というのは、Aという名の抗原蛋白(=目印)、Bという抗原蛋白を持つ赤血球、O型はAという目印もBという目印も持たない赤血球のことです。
ABOに次いで調べられることが多いRh型も、赤血球にRh蛋白という目印を持っている人といない人に分類した血液型分類法です。
このA、B、O、Rhという抗原蛋白は、父母からの遺伝によって、「この抗原をつくりなさい」と決定されているので、人の性格特性と関連があると言われてきたのは周知のとおりです。

ちなみに、赤血球の表面には、Rh、ABO以外にも目印となる無数の蛋白が存在し、そのタンパクの種類によって分類する血液型分類は存在します。
現在のところ、34種類以上の血液型分類がある。(参照:NCBI dbRBC)
MNS型分類、Duffy型分類(F型 Y型)Xg型Indian (IN)、John Milton Hagen型なんてのまであります。
Diego (DI; band 3)型によれば「あたしD型」「俺I型」なんてことになるし、Indian型だと「小生はI型」「わしはN型やで」なんてことになります。

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2014年

10月

01日

内科医の生態

 医者は医者でも、診療科によってなんとなく性格や特性に特色があります。
しばしば、外科系の医師は体育会系に、内科系医師は文化系の気質に例えられます。実際に、精力的に手術をこなす外科系の医師達はきさくで豪快な方が多いのに比べて、検査と投薬の緻密な判断を要求される内科系の医師達は、内向的で慎重な方が多い気がします。

 わが病院では、呼吸器内科、消化器内科、循環器科、神経内科、腎臓内科、総合内科(50音順)と各専門科が充実しておりますが、同じ内科でもそれぞれ毛色があるものです。
呼吸器内科や腎臓内科はいぶし銀の仕事人、消化器内科は外科に近い開放的な雰囲気があり、循環器は理知的でありながら華やかな印象です。 

 車で例えるなら、消化器医は活動的で遊び上手なポルシェやフェラーリ、循環器医は高級感がありながらどこか洒脱なアウデイやプジョー、神経内科は知性派で理知的でマイペースなサーブかプリウス、呼吸器や腎臓内科はオーソドックスにBMWやベンツのイメージです。
 血液型でたとえるなら、呼吸器・腎臓内科はAかB、 消化器はもちろんO型、神経内科AB、循環器はB、と言ったところでしょう。

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2014年

8月

08日

血液科医の生態

「血液内科医です」と自己紹介しますと、医療業界以外の方には、怪訝な顔をされることが多々あります。「白血病などを見ています」と言い添えてみても、世界の中心で愛を叫んでいる陰で黙々と働いている血液科医の生態系については全く認知されていないようです。

血液科医は、とにかく熱い人種です。
通常、外見としては極めて地味な部類に入ります。粋さよりも清潔や衛正を目的とした身なりが多く、ジャケットというより背広に身を包み、うだつのあがらない学者かルノワールで溜息をついている会社員といった風貌です。
 しかし、内側には熱き血潮がたぎっています。
「常に患者さんのところへ行け」が口癖で、一日六回回診し、しまいに患者さんから断られた指導医、幹細胞移植に燃えるあまり娘に「幹子」と名付けてしまった医師、右腕を骨折してギブスで固めながら「骨折ぐらいで休めない」と平然と診療をつづけた院長、難治性のリンパ腫を治癒してやると、メールアドレスをhypercvad.CR @xx.ne.jp にしていた医師。
 いささか多血症気味ではありますが、ベッドサイド書いて現場と読む臨床の鬼であり、信念と理想に燃え、正しいと思う治療に関しては誰にも譲らぬ頑固さを持っています。

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2014年

7月

16日

ご挨拶

昨年の秋から血液内科スタッフとして働きはじめて、早半年が過ぎました。
朝に晩にお世話になっている院内にあるローソンの弁当メニューを、悲しいかな、ほぼ空で言えるようになり、数少ない4基のエレベーターをうんざり顔で待ちわびる人々に混じって階数表示をはっしとにらみ、最も早く到着するエレベーターを見極める眼力までしっかり身についてしまった今日この頃です。

噂に聞けば、天下のGoogleの本社では、エレベーターで地上30階まで数秒でたどり着き、社員食堂はホテルもびっくりのビュッフェ形式、遊ばなければ創造的な仕事ができないということで社内にはプレイルームまであるそうな。
24時間救急医療に携わる当院とgoogle様とでは、社会的使命も設備も何もかも異なるのは重々承知ですが、なんたる違い。
時は平成になり、いつのまにやら戦争すらできるようになってしまったほど万物が流転しているというのに、我が病院は良くも悪くもいろいろな意味で昭和です。
金も地位も時間もスペースもなく、使命感と情熱だけを武器に、日夜医療という戦場で戦う若き獅子と書いてSKGHRと読む研修医達、医師達の骸に、同胞ながら感涙を禁じえません。

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