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治せなかった患者さんから学んだこと

渡辺 貴之 先生
渡辺 貴之 先生

総合内科の渡辺です。先日、日本感染症学会で日本で第3例目となる非常に珍しい症例の発表をしてきました。Mycobacterium avium complexという、健常者では通常感染することのない弱毒菌の感染が全身に広がり、不幸にも亡くなった患者さんの症例です。世界には同様の患者さんは数多くいますが、その多くがHIVの感染者や血液悪性腫瘍で強力な抗癌剤治療を受けている高度免疫抑制状態の患者さんです。そうでない患者さんは原因不明の免疫不全の存在が疑われながらも、原因が解らないまま亡くなってきました。今回発表した症例では、原因不明とされてきた免疫不全の原因として我々がIFNγ自己抗体というものを検出したということが、非常に誇れるべき内容でありました。ただ、この発表の背景には一人の患者さんの死とその家族との悲しい別れがあったということを忘れることは出来ません。 <次へ>

 

患者さんは昨年の夏、僕が医者4年目となり血液内科で研修をしていた時に出会った方です。40代の女性で、悪性リンパ腫疑いで他院からの紹介患者さんでした。6週間前から発熱があり、全身のリンパ節が腫れ体重は激減。レントゲンでは肺炎があり、抗菌薬による治療を受けるも増悪傾向。悪性リンパ腫が疑われる患者さんの治療難治性の肺炎、ということで紹介を受けました。

 患者さんは目鼻立ちが非常に整っており、病前は大変美人であったことをうかがわせましたが、数週間で消耗した身体は痩せ細り、痩せこけた顔はその年齢とは思えない年老いたふうに見えました。医者や病院に対して不信感が強く、あちこちの病院を転々としてきていました。抗菌薬ひとつ点滴するにも、「この点滴をしたら気がおかしくなるからやめて欲しい。」と抵抗が強く、診療は困難を極めました。なぜこれほどまでに不信感が強いのか当初はよくわからず、「これがいわゆるクレーマーか」と思っていました。しかし、今思えば、このよく分からない難しい病気が医師患者関係を悪化させ、そして彼女の医療不信を強くしたのではないかと思います。

 よくよく話を聞けば、彼女が医療不信になるのもよく分かります。非常にややこしい経過をたどっていました。1年半前に肺炎となり、近医で抗菌薬による治療を受けるも繰り返し再燃。全身のリンパ節腫脹も伴うことから間質性肺炎やその原因としての膠原病が疑われ、大学病院のリウマチ科に紹介されました。血液検査では膠原病を疑う所見がなく、症状は持続するもののウイルス感染症と診断され経過観察。そうこうしているうちに右膝の関節痛が始まり、近医を受診。関節液検査では細菌性関節炎が疑われ、緊急手術が必要となり市内の総合病院へ入院。手術を終え、関節液の細菌検査からは結核菌の感染が疑われるということで抗結核薬の投与が開始。しかし抗結核薬による肝障害により10日あまりで投与中止。医療不信から外来通院を自己中断され、抗菌薬による治療は再開されぬままとなりました。その後再度肺炎を繰り返し、全身のリンパ節が腫れ当院へ紹介となったわけです。

 入院後数日で肺炎の原因菌はMycobacterium avium complexという菌であることが判明しました。また、この菌が全身に広がっている状況が判明しました。Mycobacterium avium complexは弱毒菌であり、通常の免疫のある患者さんには感染しません。過去の繰り返す感染症も含めて考えると、免疫不全の存在が強く疑われました。しかしHIVを含め免疫不全の原因を精査しましたが、いっこうに免疫不全の原因は見つからず、入院第5病日には呼吸状態が悪化し人工呼吸器管理を開始。Mycobacterium avium complexに対する標準的抗菌薬治療を行いましたが呼吸状態の改善はみられず、人工呼吸器離脱は困難でした。全身状態はみるみる悪化。貧血や血小板減少の進行から連日大量に輸血を要する状態となりました。何か助ける手段はないかと院外の専門家へ相談しましたが、現状ではいかなる治療を行っても治癒する見込みはないとのことで、打つ手がない状態でした。
栄養状態は悪化し、血圧を維持するための点滴で水分過多となり、やせ細ったからだは逆に浮腫みでぱんぱんに膨れあがりました。日に日に状態が悪くなっている事は目に見えてわかりました。意識の状態も悪くなり、さらに人工呼吸器につながれ言葉を発することも出来ませんでしたが、彼女の目は「苦しい。まだ死にたくない。助けて。」といつも訴えているようでした。見るに耐えない姿となり、それ以上の延命はあまりにもかわいそうで、ある日主治医の田中先生に「家族に治療の中断を提案してはどうか。」と申し出ました。その時、田中先生から「主治医が治療をあきらめたら、誰がこの患者さんを助けるの。私はあきらめないわよ。」とい言われたのを覚えています。その後も懸命な治療を続けますが、入院第42病日に家族に見守れる中、彼女は息を引き取りました。最後の瞬間に僕は立ち会うことは出来ませんでしたが、壮絶なものであったと聞いています。血圧が下がり、呼吸が止まりそうになる彼女の身体を家族が叫びながら叩いていたと聞いています。
死後病理解剖が行われましたが、やはり免疫不全の原因は明らかとはなりませんでした。田中先生の執念もあり、その後約10ヶ月に及んで国内外の文献をあたり、IFNγ自己抗体の存在を突き止めたわけです
 彼女の命日は811日。僕の誕生日です。何か意味があるのでしょうか。僕は彼女を助けることは出来ませんでした。彼女が亡くなったことを、毎年誕生日に思い出して苦しめという彼女の恨みのようなものなのでしょうか。しかし、そうではなく「私の死を無駄にしないで。」という彼女のメッセージのようにも思えます。世界には彼女と同じように原因不明の免疫不全で危篤な感染症になっている患者さんがいて、その中にはIFNγ自己抗体が原因の患者さんも多数いるはずです。治療法はまだ確立されていませんが、リツキシマブという薬が有効であったという報告が、数例ではありますが世界でされてきています。まだ一般的となっていないIFNγ自己抗体の存在を世界へ発信し 、これまで助からないと言われてきた命を救うことが、彼女に対するせめてもの償いになるのではないかと思います。

 
 生前に病気の原因を突き止めれず彼女を助けることができなかったことを、ご家族の方々には改めてお悔やみ申し上げます。