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ブログ

沖縄とおばあ

学生時代の沖縄徳洲会での研修は、個人的には、初の来沖だった。沖縄へのパスポート提示が廃止されたのは1972年、まだ沖縄が長寿日本一で、基地の傷跡も生々しくAサインバーの残り香がまだあった気がする。

まず、患者さんの名前に驚いた。例えば「金城カメ」「金城ウシ」「比嘉ウシ」「金城カマド」さんが同室にいる。同姓が多い上に、下の名前が人の名前ではなく、性別も不明である。
「牛さん」と呼ぶのも妙な塩梅だし、「金城さん」と呼ぶとみなが振り返る。
先輩医師は実に潔く、女は全員「おばあ」男は「おじい」で統一していたが、本土で同じことをしたらクレームものである。今思っても、沖縄の「おじい」「おばあ」という呼称に敬意が含まれていたからこそできた力技だった。

 私が担当させていただいた「おばあ」は、生粋の沖縄の方で、東京語が通じず、会話をするのも一苦労だった。白髪まじりの髪をゆったりと頭の上でお団子に結び、顔も指も丸っこい方で、平たい顔のウチナンチュの医者見習いにいつも、禁止されているはずの菓子をにこにこ笑いながら勧めてくれた。
 看護師さんに通訳をしてもらいながら、やっと聞き取れる言葉の中で一番多く繰り返された言葉は、「家に帰りたい」だった。「ゴーヤの世話をしなくちゃいけないから」と。

病状が悪化して、その方は集中治療室に移った。何日間かが経過して、主治医とご家族が話す時間が長くなっていった。
ある朝回診に行くと、病室の彼女の布団の上一面に、草がばらまかれていて驚いた。ススキの葉のような、乾いた細い草だ。聞けばご家族の方が持ってきたという。驚く私に、看護師さんはこともなげに答えた。
 “魔除けさあ。悪霊(マジムン)を寄せ付けないように”
清潔管理を第一とする現代のICUでは考えられないことだが、まだ何もわからぬ出来の悪い医学生は素直に”そんなもんかー”と納得してしまった。

 

 その方は次第に眠っている時間が長くなった。ある朝、布団の上に白い着物が逆さになって広げられていた。看護師さんは言った。
”まじないさあ。魂(マブイ)が体から離れていかないように。 ”

おばあが家に帰った日、頭を垂れる私たちの頭の上を、青く光る蝶がすり抜け、病院を後にする車の後を追うように飛んでいった。
”おばあの見送りさあ”と看護師さんは教えてくれた。

メガホン搭載病院車で島を走っているとき、椰子に似た琉球松と真紅のサンダンカの花の下で、人々が円座になってピクニックをしている姿を見かけた。
“墓参りさあ。”
樹々の陰に、100人乗っても大丈夫なガレージほどの大きさの、屋根瓦石造りの付きの建物が見えた。沖縄の亀甲墓だった。鬼籍に入った方と一緒に笑う。それが墓参りだと、看護婦師さんは言った。

沖縄は、生と死が地続きにある土地だったように思う。
人の名前に動物やモノの名前をつけるのは、沖縄という土地が、動物や日常用具の中に神性や聖性を見出すアニミズムの土地であるからだろう。
近代化し、機械化した最先端の病院では一笑に付されてしまう見えない力に対する畏敬が、おおらかな形でそこにあった。

そして病院では、命を助けるという原点の医療と、命を迎え、おくるという営みが、矛盾なく共存し、つながっていた。
医療の使命が多極化し、細分化した現代でも、この病院の原点であった野太い医療のあり方は今一度立ち返るべき何かががあるように思う。
小手先でなく芯の太い医療を、最先端の医療と知識というツールを得てなおさら、いのちに素手で向き合っていきたい。