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コミュニケーション(1) ~「怒る」と「叱る」~

 前回、コミュニケーションについて触れました。その中で、相手の想いを受け取り、自身の想いを伝えることが、安心して過ごすためには大事なことが見えてきました。いい機会でもありますので、今日から何回かに分けて、「コミュニケーション」の話ができればと思います。 
 導入として、「コミュニケーション」をどう考えていくのかについて、具体例を基にみていけたらと思います。
 題材は「怒る」と「叱る」です。

 皆さんは「怒る」と「叱る」の違いをご存じでしょうか?どちらも対象に対する「情緒」ですが、細かく見ていくとその色合いは大分異なります。

 「怒る」・・・主に2者的な関係で生じる情緒。自身の意に沿わないような対象の行動や受取りに乏しい
        対象の態度に生じる。親しい友人・家族・恋人・夫婦などとの関係でみられる。

 「叱る」・・・主に3者的な関係で生じる情緒。対象そのものではなく、対象の行動や態度に対して向け
        られる。子供・生徒・部下などとの関係でみられる。

 このように、「怒る」と「叱る」では、似ているようでその色合いが異なっていることがわかります。こうしてみると、人が「怒る」とき、それは、ある程度の愛情及び親しさを直接的に抱いているかもしれません。つまり、距離感が近いということです。より情緒本位になっていることが考えられます。
 一方で、「叱る」ときには、愛情に基づいていながらも、一定の距離感をもっているかもしれません。それは、直接的にその対象に纏わるような内容ではなく、その「行動」「態度」といったものに向けられることが多いように思われます。

 こうしてみていくと、「怒る」には「期待」故のジレンマがあり、「叱る」には、より事実に基づいた評価があることがわかります。

 さて、今までのことが何を表しているのか?ここからが大事です。

 それは、我々が「怒る」とき、「叱る」とき、それぞれに異なる「コミュニケーション」を行っていることを表しています。
「怒る」ときには、「その人及び対象への自身の想い入れ」を組み込んだメッセージを送っています。

「ケンカするほど仲がいい」 と言われるのは、このことからかもしれません。

「叱る」ときには、「社会的な第3者的な評価(正しいか間違っているかは別問題として)」を組み込んだメッセージを送っています。

「仏の顔も3度まで」は、このことを表しているかもしれません。

 一つの事象があったときにも、自身が感じていることや相手から送られるメッセージには、機微があるようです。我々は、日常の中でそのメッセージを「送り」「受け取り」ながら生活をしています。
 具体的に言えば、相手が「怒っているのか」「叱っているのか」の受け取りで、自分と相手のあり方は変わります。また、自分が「怒っているのか」「叱っているのか」で、自身と相手のあり方が変わります。

こう考えていくと、「コミュニケーション」 = 「やり取り」 であることがみえてきます。
そして、「やり取り」 を行うには、「自分がどう考え感じているのか とういうことに耳を傾けること(自分とのやり取り)」、
「相手が送っているメッセージに耳を傾けること(他者とのやり取り)」 が大事であることがわかります。

 自分にも相手にも「素直に聞いてみる」・・・難しいですが、大事にしたい「やり取り」の一つです。   

                                                                   つづく・・