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メッセージ(1) ~文間を読む~

 先日、ある患者さんに興味深い・・というよりは、驚きの(私にとっては)事実を教えて頂きました。久しぶりの更新になりましたが、それは私にとってはさまざまなことを想起させてくれる体験でしたので、いくつかの回をまたいでその体験を少しまとめられたらと考えています。
 教えて頂いた内容とは、 「今の中学校(全ての中学校にあてはまるものではないのかもしれませんが)では、メールで保護者に行事の連絡が来る」 ということでした。
 
 これを聞いて、皆さんはどのように感じるでしょうか? 

 私には、このことを聞いた時に、我々にとって大事な経験が失われていくように感じました。それは「良い」「悪い」ではなく、時代背景と共に進んでいることは理解しながらも、少し寂しい気分にもなりました。

 我々には、物事を媒介とした「メッセージ」を送る力と、それを感じとるという関係的営みがあります。その一つが、難しくなった気がしたのです。

 つまり、学校行事に纏わる内容を母親や父親に伝えないことで、送っていた子供からの「メッセージ」を、親が「読み取る」。そんな関わりを持つ機会の一つが、今の親子からは失われてしまっているのかもしれません。「メッセージ」には、「親に学校に来てほしくない」→「学校で不甲斐ないと感じている自分がいる」や「両親にもっと自分を見てほしい」のような、「自信のなさ」や「頼りたい気持ち」などが含まれます。この内容が両親に伝わらない時、もしくは伝えるツールが無くなるとき、関係は少し窮屈になるかもしれません。

 情報の重要性は理解しつつ、それが関係の「ゆとり」を奪い、窮屈にしていきます。学習内容への「ゆとり」ではなく、関係性の中にこそ「ゆとり」があることが望まれるように感じます。この場合の「ゆとり」とは、「いたずら」も含んだ「遊び」を媒介としたものです。「遊び」や「冗談」を通してでないと表現できないことが、十分な成長に至っていない時には生じるものです。

 全ての「ツール」が無くなっているとは思われませんが、このような環境の中で、少しづつ関係が「窮屈」になっていることが、さまざまな場面で生じているのかもしれません。そしてそれは、「個の空間」を守ることにも関係しているように思われます。

                                            ・・・・・つづく