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尊厳死法案 ~対峙すること~

 少し古い話題になってしまいますし、皆様ご存知のことだとは思いますが、現在「尊厳死法」が与野党にて協議されており、かなり踏み込んだ内容の議論がなされています。最近では「エンドノート」といったものが流行っていたりと様々な方にとって関心の深い問題のように思います。
 今回は、その内容のポイントを追いながら、その意義を理解していければと思います。なかなか取り扱うことが難しく、繊細なテーマではありますが、そこには「対峙すること」というプロセスの重要性があるのかもしれません。

 「尊厳死法」とは、患者さんの「死」に対する意向をできるだけ尊重していくために、医師の権限(正確には免責事項)の定義を行っていく法案です。
 現在の議論されている内容では、患者さんの意志(これは、健康時などに文書等で示されたもの)に基づき、「治療を中止すること」を可能にするかどうか が 重要なポイントになっているようです。これまでは、医師に「治療の不開始における免責」は存在していたものの、「一度治療を開始したものを中止すること」は禁じられており、倫理的にも許容されていませんでした。今回の法案では、この「治療中止」について医師に免責を広げていこうという動きが強くなっている現状があるようです。
 もう一つの難しい議論があります。それは「終末期の定義」です。「尊厳死法」は、法律ですから、その適用対象が存在するわけですが、それは「終末期の患者さん」ということになります。そのため、どこまでの範囲を「終末期」と呼ぶのかで適用範囲が変化していくわけです。これはとても難しい議論で、一定の結論を見出すには時間を要するものと考えられます。
 ですので、この法律が成立していくにはとても時間がかかりそうですが、我々にとって大事な問題が話し合われている段階にあるというのは事実です。皆様はどのように考えるでしょうか?

 また、実際の臨床では、ここに「家族」という大事な存在を含めて理解していく必要があります。「法律」はあくまでのその大枠であり、実際に活用していくときには包括的な理解が重要になることは言うまでもありません。ですので、ご本人の意志が明確であっても、医師がそれのみで実際の判断をしていくことは現実に起こり得ないことのように思います(私は心理士ですので一つの意見と考えとしてですが)。より入念な確認と家族との調整や話し合いを持ちながら進めていくことになるはずです。

 この法案のプロセスを追っていく中で、それぞれが「自分の問題」として考える必要がある内容であるからこそ、その定義が難しいものであることに気づかされるように思います。

 とても繊細でネガティブな側面が強いため、目を背けがちな内容ですが、それは「対峙すること」が大事になることを教えてくれているように考えます。「対峙すること」は、現実を理解し受け止めていくために必要なプロセスになります。その時には「暗い」情感も生じてくるかもしれません。ある物事と向き合うとき、我々の中に「明るくはない情感」が生まれることも普遍的であるとも考えられるのではないでしょうか。
 言い換えれば、「対峙する」とき、「気持ちが揺れること」が我々にとって通常の状態であるといえます。

 この法案は「個々の問題」が主題でもあるため、もし施行されても、それが完成し機能していくには現実の中でその意味合いを構成していくことが必要になりそうです。その時に、我々が「対峙すること」を繰り返していくことなしには、その構成は難しいものになっていくかもしれません。

 「大事な問題と向き合っていくこと」・・・我々にとって単純なようで難しいことかもしれません。

 それでも、有意義なプロセスを歩んでいければと感じます。