湘南鎌倉総合病院
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病のために、肉体の不自由を強いられるということは、ままあることである。
右手の梗塞で字が書けなくなった方、脳の転移のため視力を失った方、脊髄への転移のため下半身麻痺となり車椅子生活となる方。
緩和ケア病棟で働いていたとき、人が何かを手放していくのはなんと難しい事だろうかと嘆息した。
私達は少しずつ、できなくなっていく。
得ていくこと、増していくことをよしとする価値観の元で、失ってゆくことは新しい経験である。

有名人の方ががんにかかると、必ず「闘病」という言葉が使われる。
「癌に負けないように頑張ります」という言葉を耳にする。

 がんを完治させる、治療の副作用に耐える、精神的な負荷を乗り越える、それは戦場の最前線だと思う。それは、前進し、乗り越えるための戦いだ。華々しい銃撃戦のようなものだ。
けれど、その方たちと同じぐらい、あるいはそれ以上に私が胸を打たれるのは、病を抱えながら日常と折り合いをつけるという戦いに臨んでいる方たちである。
 今日はしんどかった、今日は調子が良かった、今日は昨日食べられなかった、ご飯を一口食べられた、今日は便を漏らしてしまった、日々の体の微細な調子に一喜一憂しながらも、胸をさすりさすり、粘り強くその日その日を生きている方たちである。

何かが失われた時、日々の生活は挑戦になる。
咀嚼し、飲みこむこと、体を横たえ、眠ることすら大仕事になる。
派手な戦いではない。けれどそれもまた、絶え間ない戦いである。
 自分にとっての優先順位を知ること、人の手をきちんと借りながら自分の領域を確保すること、自分はやりとげられるという自立心。
明らかな敵が見えない分、より忍耐力を必要とする持久戦である。
その時にこそ、真に、生きることについての喜びの才能が問われるように思う。

絵を描かれる患者さんで、視力を失った方がいる。残念ながら、どれだけ生きられるかについても、厳しいお話をせざるを得なかった。
その方は、診察室に来るたびに、動けなくなっていった。
診察室を開ける姿が杖姿になり、やがて車椅子になった。
それでも、その方は来るたびに、日々の変化を語ってくださった。
訪問リハビリの方に来ていただいて少し筋肉がついた、失禁しないように動きやすいジャージに変えた、今日はお肉を食べた、などと、落ち込みすぎることもなく、気負いすぎることもなく、たゆまず自分を手当している様子がうかがわれた。
強い方だ、と思った。

 かつてあるプロ野球選手が、戦いの8割は、体調のコントロールにあると言っていた。
ホームランを打つところが試合なのではなく、バッターボックスに立つこさが試合なのではなく、バッターボックスにいかに毎日同じコンディションで臨めるかが試合なのだとと語っていた。日々の生活をどう維持していくか。そのことに通じるものがあると思った。

彼が片目で描いた絵を拝見したことがある。当院に入院中、病室から見下ろした風景を描いたものだった。
病院の前から、まっすぐに伸びていくアスファルトの道路が描かれていた。
鼠色の決して派手ではないその道は、私が普段目にしている現実の道路より、より太く、より強く、より分厚かった。

進むのも戦いなら、持ちこたえ、退くのも戦いである。
退きながらも、その時に自分ができる最善の策を探していくこと、私はその姿を勇姿と呼びたい。
医学の知識に関しては私達医者の領分であり、若輩と言えども餅は餅屋と自負しているが、親や祖父母の世代にあたる方々の生きゆき死にゆく姿は、やがてその後に続くであろう私達を感じ入らせる。
病と死は、手放していくことを学ぶ、最後のまなびの機会なのかもしれない。